「何かに打ち込んだ経験」と聞くと、部活動、スポーツ、音楽、受験、仕事などを思い浮かべる人が多いかもしれません。しかし、人が力を使い、工夫し、成長する場面は、それだけではありません。
体調と向き合った時間。家族を支えた時間。外に出られない中で、PCやスマートフォンを使って表現を続けた時間。そうした経験にも、確かな努力があります。
「成果が見えない努力」は、評価されにくい。
競技には記録があり、仕事には売上や役職があります。一方、回復、介護、育児などは、努力が数字や肩書きとして残りにくいため、本人さえも「何もしていなかった」と感じることがあります。
しかし、結果が見えにくいことと、力を使っていないことは同じではありません。
病気や回復と向き合った時間
体調の変化を観察し、負荷を調整し、方法を試し、記録しながら改善する。その過程には、自己観察、仮説検証、自己管理、回復力があります。
介護や育児を続けた時間
相手の状態を読み取り、予定外の出来事に対応し、限られた時間や資源を配分する。その過程には、観察力、調整力、優先順位付け、忍耐力があります。
PCやスマホで表現を続けた時間
外へ出られない状況でも、文章、画像、動画、音楽などを作り続ける。その過程には、表現力、技術習得、編集力、継続力があります。
立ち止まり、再起を探した時間
すぐに答えが出なくても、自分の状態と向き合い、次の一歩を考える。その過程には、自己理解、判断力、再設計力があります。
病気からの回復にも、アスリートに劣らないPDCAがある。
体調と向き合う人は、毎日の小さな変化を観察します。何が負担になったのか、何をすると回復しやすいのか、どの程度なら継続できるのか。方法を試し、結果を見て、次の行動を変えていきます。
これは、競技でフォームを修正したり、仕事で業務改善を行ったりすることと、構造としてはよく似ています。違うのは、社会から見えやすいかどうかです。
「できなかったこと」ではなく、「工夫したこと」を見る。
経験を価値へ変えるとき、できなかったことを数えるだけでは、その時間の中で使った力が見えません。次の問いで振り返ってみてください。
- どんな制約がありましたか。
- その制約の中で、何を工夫しましたか。
- 何を観察し、どう判断しましたか。
- 続けるために、どんな方法を作りましたか。
- その経験によって、人への見方はどう変わりましたか。
病気や介護などの経験を、本人の意思に反して無理に「成長」や「美談」へ変えるべきではありません。つらかった経験は、つらかったままでよいものです。その上で、本人が望むなら、その中で使った力や得た視点を言葉にすることができます。
見えなかった努力に、名前をつける。
Muchurekiが目指すのは、すべての経験を仕事に利用することではありません。社会の物差しでは見えにくかった時間を、その人自身が理解できる言葉へ変えることです。
人には、職歴だけでは説明できない歴史があります。その歴史の中で育った力は、次の人生を支える資産になり得ます。